Currently viewing the tag: "親指シフト、ThinkPad、キーボード、ワープロ"

去30年間を振りかえると、ワープロが現れ、ノートパソコンが現れ、そしてスマホが現れと、まさにキーボード入力の戦国時代でしたね。そして今、キーボードそのものが「消滅」しはじめているのかもしれない……まさに栄枯盛衰がありました。
それまで、日本語にキーボード入力は、なじまないと思われていたと思います。
それがあっというまに、みんながキーボードを使うように激変しました。そして今、キーボードは消滅しつつあるのでしょうか。キーボード盛衰史というようなものを考えました。

ここではちょっと「親指シフト」キーボードというものを振り返ってみたいと思います。
キーボードというのは不思議で、手になじまないといけないし、小さすぎてもだめ、大きくてもだめ、打鍵がぺなぺなでもだめ、しっかりしすぎていても疲れるなど、個人的な好みに非常に左右されるのですね。


私は、もう30年近くにわたって「親指シフト」派です。「親指シフト」というのは、富士通のワープロから始まって独自に「ガラパゴス化」した入力方法とキーボードですが、文章をたくさん書く人たちの間では抜群の人気を誇っています。私は、学生時代にワープロ専用機「オアシス先生」というのを購入して「ブラインド・タッチ」(「キーボードを見ないで打鍵できる」という意味ですが今ではPC的に良くない言い方らしいです)をマスターしました。以来、親指シフト一筋ですが、正しい選択だったと信じています。私は、社会学の先輩の橋爪大三郎さんが様々なワープロを検討した結果「これが良い」というのに従ったのですが、私の他にも彼の「布教」で入信した人は多かったようです。社会学者では他にも佐藤健二さん、大澤真幸さんなどが「親指シフト」ですね。


こうした人たちも今では、それぞれのキーボードを「親指シフト」として入力したように変換するソフトウェアを用いているのです(ただしキーボードによって「親指シフト」化しやすいものとそうでないものがあります)。
さて「ガラパゴス化」したキーボードなので、本家本元の富士通が「親指シフト」を止めてしまった時は不安でした(それ以前から富士通のものは使っていなかったのですが)。またOSが変わるたびにエミュレーションソフト(キー入力をフックして変換して親指シフト配列にするのだそうです)が動かなくなったり、OSの転換期には少数派の悲哀を味わうこともありますが、その都度「ニコラッター」とか「yamabuki」とか個人で変換ソフトを作って公開してくれる人たちが出現するので助かっています。Macでも「野良ビルド」とか「Keyremap」とか現在では「Lacaille」などが出てきています。


私はといえば、富士通のオアシスが無くなってからは、親指化しやすいキーボードを求めてずいぶんたくさんのキーボードを試しました。そしてこの15年以上は、ThinkPadのキーボードを「親指シフト」化して使っています。これを現在は「yamabuki-r」などで親指シフトにしています。ThinkPadもIBMからレノボに代わってどうなることかとひやひやしましたが、現在までは、なんとか大丈夫です。ThinkPadだけでも、もう10台(代)以上は使ってきました。これがいちばん手になじみます。他にも、デスクトップに 東プレの「REALFORCE」をつけて使ったり、Macも「親指シフト」にしていますが、あまり長い文章を書く気にはなりません。
このあたりから、人間とキーボードとの相性がでてきますね。ひとそれぞれです。たとえば、ものすごくたくさん文章をかく友人の一人も親指シフターですが、iMacの、あの新しくて薄くてぺなぺななキーボードでまったく問題ないそうです。私は……ぜんぜん、だめでした。


さてそうこうするうちにデスクトップは消えかけ、ノートパソコンですら縮小していって、スマホとかタブレットの時代になりました。この入力が難しい。
いつのまにか、パソコンにキーボードなど、どんどん少なくなっていって、学生など、スマホだけです。そしてフリック入力とか、とても真似できない不思議な入力方法で、ぐんぐん入力していくのを見ていると、時代が代わったという感慨と、「親指シフト」もいつまで生きながらえるのか、ちょっと不安な気もします。
私の場合、iPad、iPhoneなどでは音声入力が中心です。画面上では、ほとんど打てません。
かつては「音声入力」など夢のまた夢かと思っていましたが、現在のは、かなり実用になります。今後、ますます音声入力が進化していくことでしょう。


でもそういう「進化」だけでないものがある。
私はこの数年「手書き」に猛烈に、回帰しています。手書きには、キーボード入力や音声入力にないものがあります。いつも数種類のノートブックを持ち歩き、何か感じたり、思いついたり、メモしておきたい時には、万年筆で筆記することに「悦び」を見いだしています。頭が思いついたことを、指先が受け継ぎ、こんどは指先が考えはじめ、書き付けながら、思考が膨らんでいくのを覚えます。これが快感です。アイデアが、芽吹いて、ふくらんで、展開していくのを実感できます。


学生たちを見ていると、手書き派が圧倒的に少なくなっています。紙のノートなど持っていないかもしれません。でも、それはもったいない。ノートパソコンやスマホは革命的でしたが、紙と手書きも、それ以前の「革命」だったはずです。どれかを得て、どれかを捨てるには及ばない。それではもったいない。それぞれの良さを複合的に、そして相乗的に、味わって活用していきたいものです。
私は、アイデアを着想し、それを書き付け、ふくらませ、育てていく段階で、以前にもまして、ノートに万年筆で手書きするというプロセスの中に、固有の「楽しさ」を感じるようになっています。