私の場合、夜は仕事をしない(できない)ので、夕食後は、録りためたテレビ番組や映画を観てすごすことが多くなりました(いつのまにか、朝はやくおきて、朝から午前中にかけて考え事や書き物をするという朝型の人間に転換してしまったのです)。
今夜は、昨年11月に放映されたNHK・Eテレの「寺山修司という宇宙 園子温×穂村弘」を観た。この番組には驚いた、すごい、びっくりした、感心した。これは観て良かった。
私も、30年前の大学生時代に、寺山修司と出会っている。当時、可能なかぎり彼の演劇をみたし、晴海の国際見本市会場で上演された劇団天井桟敷の「奴卑訓」では、劇がおわったあと、観客が三々五々いなくなっていく会場を、れいの背広にネクタイでありながら足下はサンダルを履いている、独特な歩き方をして近づいてくる寺山修司本人と50センチの距離ですれちがったりもしている。映画の代表作「田園に死す」だけじゃなくて「トマトケチャップ大帝」のような実験映画なども観てきた。短歌だって「吸いさしの煙草で北を指すときの、北くらければ、望郷ならず」というのは今でも空で言えるし、それだけでなく著作もいくつも読んできたと思う。でも、この番組に出てきた二人ほど、寺山修司体験をつきつめてはこなかった。この番組にでてくる短歌はほとんど知らなかったし、その伝記的な部分も、知ってはいたが、このように解釈できるとまでは、思っていなかった。だから、私にしてみれば、この番組は、不意打ちの、ほとんど30年ぶりの寺山修司とのディープな再会だった。彼の本質(あるいは虚構にして自分を語らぬという語り方)との、あらためての出会いだった。それは新鮮な驚きでもあった。ううむ、これは良い番組でした。一度観ただけでは、見尽くせないような、そういう余韻まである、良い番組だったと思います。


Eテレ 寺山修司

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