新潟県十日町市池谷集落を訪問して現地の方々から様々なことをうかがいました。たった半日くらいのリサーチですぐに結論めいたことが分かるわけではないのですが、気づいたことをいくつか列挙しておきましょう。あくまで私の個人的な仮説あるいは感想です。
第一に、ここにはNPO法人「十日町市地域おこし実行委員会」があって、都市との交流や移住の窓口になっていることが大きいと思います。普通はなかなか外部の人間を受け入れない集落で、こうしたNPO法人が立ち上がった背景には、中越地震で集落が存亡の危機にたったことが大きいようです。この地震で道路は寸断され、集落を離れる人たちもでて、集落は存亡の危機に立たされました。こうしたインパクトがなければ、なかなか外の人間を求めることにはならなかったでしょう。地震というインパクトが、集落が動く原因のひとつになったようです。
第二に、じっさいに消滅した隣の集落にいた人が、現在のNPO法人の代表になったことも大きいでしょう。集落と東京とを媒介したのは、この集落にかよって農村風景を描いていたアーチストの方のようです。その人が世界的に活躍する大きなNGOの「JENジェン」を紹介し、こことつながったことによって、外部からボランティアがたくさんやってくるようになったようです。そしてJENを支援していた企業につとめていた若手の人が、関心を深めて、家族をつれてここに移住してきて、NPO法人の事務局長になったことも大きかったはずです。
第三に、総務省の「地域おこし協力隊」の制度が「移住」を後押ししたようです。3年間の任期付きで月16万円ほど(年間200万円)が保障されることが、都市から農村への移住に難色を示していた家族を説得する材料になったそうですし、独身の人たちからするとチャレンジするインフラとなったようです。
つまり、地震をきっかけに、都市のNGOが支援にはいり、このNGOの周辺にいた人たちが、ここでボランティアや体験をはじめ、それが「地域おこし協力隊」の制度などとあいまって移住の動きにつながったこと。そしてイベントごとにボランティアで来ていた人たち(女性)の中から、農村を「体験」し、やがて「交流」が深まり、「移住」につながる人たちが出てきたこと、こうしたことが大きな要因のように思いました。……都市からやってきた若い女性たちは、農村に住むということを、新しくおしゃれなライフスタイルにすることを提案し始めています。そして、ウェブの上でも「移住女子」の会をつくって、農村暮らしのプラスのイメージを様々にアピールしていますし、実際にピアサポートグループを作って、移住女子の人たちが、互いに励まし合い、連帯しながら住んでいることが、「奇跡の集落」などと言われる秘密の一部なのかなと思います。


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