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これもオックスフォードで有名なパブだそうです。「まさかこんな路地裏に」というような細い道を入っていくと「Turf Tavern」というパブがあります。奥深いところにあって大人気店です。お昼時には満席です。ここではじめて、パブでは、席に座っていてもオーダーを取りにきてはくれない、ということを知りました。(ここにもクリントンの名前が・・・いろんなパブに出入りしていたんですね)


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オックスフォードにも有名パブがいろいろありますね。ここは、これまた有名な書店「Blackwell」の近くにある「White Horse」というパブです。アメリカの元大統領クリントンが学生時代よく来たところとか(クリントンはオックスフォードに留学したんですね)。


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大学そっくりさん
ケンブリッジの街でカレッジめぐりをしていると、いたるところで「あれ、これ、見たことあるな」という建物に出会います。たとえばハーバード大学やジョンズ・ホプキンス大学の建物のそっくりさんに出会うのです。正確にはハーバード大学やジョンズ・ホプキンス大学が、ケンブリッジのカレッジを真似たのだと思いますが。アメリカの大学は、ほんとうに、オックスフォードやケンブリッジをルーツにしているんですね。そしてオックスフォードやケンブリッジは、中世からのヨーロッパの僧院やら教会やらを受け継いでいるんですね。原型は、ゴシックの教会ですね。ホグワーツの魔法学校の原型は、ゴシックの教会ですからね。僧院だという意味は、そこで寝食をともにして、いっしょに祈る(いっしょに聖書を読む)空間、ということでしょうか。およそ日本の大学とはかけはなれたものですね。日本の大学は、僧や神職の伝統、鎌倉仏教とか伊勢神宮の伝統とはまったく無関係ですからね。むしろ近代になってから建築された「工場」が原型なのではないでしょうか。とくに工学部なんか、その典型ですね。群馬県の富岡市に富岡製糸工場があって、いま、世界遺産登録に熱心です。ここは女工哀史とはちょっと違って、良家の子女が近代的な工場で働くぴかぴかの近代施設だったようです(もっとも労働条件は今からみると女工哀史的だったのかもしれませんが)。日本の官立大学は、西欧(の工学技術)に追いつけ追い越せの機関として始まったところが多いので(もうひとつのミッションは国家官僚の養成でした)、今のような時代には、おのずと先祖返りして「工学的な発想によって運営される学生生産工場」になりつつあるのでは・・・?


ジョンズ・ホプキンス大学にそっくり(ケンブリッジのクィーンズ・カレッジ)
ジョンズ・ホプキンス大学のそっくりさん(ケンブリッジのクィーンズ・カレッジ)
これはハーバード大学のそっくりさん(ケンブリッジ)
これはハーバード大学のそっくりさん(ケンブリッジ)
これは教会か大学か(オックスフォード・クライストチャーチ)

これは教会か大学か(オックスフォード・クライストチャーチ)

中世の城か、薔薇の名前の僧院か(オックスフォードのボードリアン図書館)

中世の城か、薔薇の名前の僧院か(オックスフォードのボードリアン図書館)

 春休みにオックスフォード大学を訪ねました。ハリー・ポッターに出てくる魔法学校のモデルとなったところです。新学期の始まる日本の大学とつい比較してしまいますね。見学しているうちに、なるほど、と気づいたことがありました。
 ホグワーツの魔法学校は全寮制です。そしていきなり圧倒されるのがこの荘厳な空間でのディナーでした。全校生徒が一堂に会して夕食をともにします。もちろん校長以下教師全員もです。そう、ポイントは「全寮制」と「非日常的な劇的空間」でした。
 じっさい、ケンブリッジ大学もオックスフォード大学も全寮制です。ハーバード大学も1年生は全員構内の寮に入ることになっています。その寮内が非日常的な劇的空間になっているところが映画の見所でしたね。つまり入寮することが自由を束縛されるネガティヴ体験ではなく、そこでこれまでに見たこともない劇的空間の中に暮らしてドラマを味わうというポジティヴ体験として経験されるのです。
 仲間や教師と寝食をともにして、その非日常的な劇的空間のなかでわくわくする経験を積み重ねて学び、成長していく・・・。もちろこれは映画のおとぎ話でありますが、じっさいの英国や米国のエリート校でも、基本構造はそうなっているのだろうと思います。大学生活が、高校までと違って、劇的体験なのですね。
 ひるがえって日本ではどうか。受験までの生活こそ非日常なドラマです。モーレツな受験勉強や予備校でのカリスマ教師の授業(いつやるの、いまでしょ)、そして受験・合格(あるいは不合格)という人生の一大イベントを経験します。受験前後こそ「劇的な非日常的体験」ですが、大学に入ったとたんに、平凡な「日常」がだらだらと始まってしまうのですね。よく言われる五月病などというのは、まさに劇的な興奮のあとの平凡な日常の連続に心が憂鬱になる心理のことをいっているのではないでしょうか。
 学生は入学時にモチベーションが最高潮で、あとは4年間下がりっぱなし、などと言われます。そこで、サークル活動やアルバイト等に熱心になってしまって、授業にはほとんど身を入れなくなってしまう学生たちを、ずいぶん見てきましたが、それには理由があったのですね。学生だってドキドキするドラマの中で学び、これまでと違う自分へと成長していきたいはずなのです。でも日本の現実の中ではそれがかなわない。そこでサークルやアルバイトという外の世界の中に違う「何か」を求めていってしまうのでしょう。
 かつては日本の旧制高校も全寮制でした。きっとホグワーツの魔法学校のようだったのだろうと思います。


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