5月22日、九州大学大学院人間環境学府の「シリーズ人間環境学」というリレー・レクチャーで、私は「千と千尋の神隠し」講義を行いました。ほぼ満員の教室でした。講義は、みんな熱心に聞いてくれたようです。ちょっと教室が狭かったですね。
大学院人間環境学府では、かなり留学生が多いのですが、「千と千尋の神隠し」を観たことがない学生は、わずか2名だけでした。さすが日本を代表する映画なのですね。みんな観ているんだ。
講義のポイントは「グローバル化で変調した日本をどう考えるか」、とりわけ「ブラック企業の世界をいかに脱出するか」。そのための対抗策として「銀河鉄道と水中鉄道」を解読する。なぜ「銀河鉄道」や水中鉄道は、解決の糸口を与えてくれるのか。いや、宮崎監督は、「銀河鉄道」を相当意識していて「銀河鉄道」とは真逆の発想で「水中鉄道」を考えたにちがいない。そのポイントはどこか、そのあたりを話しました。後半部は、現代の世界の対立図式を「ハリウッド映画やアメリカ的世界観への対抗」ととらえてみました。ハリウッド的、アメリカ的な問題対決の図式を超えようとする意図がこの映画に込められていたにちがいありません。この世界の歪んだ象徴として「湯屋」を考えると、「湯屋の世界をなぜ革命しないのか」という問いが出てくるでしょう。なぜ千は湯屋を変革しなかったのか。当然予想されるその問いへの宮崎監督の渾身の「解答」が、最後のシーンに込められているのではないか、と話しました。「正解のない世界をどう生きるか」。そういう深いメッセージのある映画なのではないか、そう問いかけて講義を終わりました。