是枝監督の「海街diary」を見ました。是枝監督、これもいいですね。不在(というか愛憎をこめて亡くなった)の何人もの父母をめぐる4姉妹の物語です。複雑な家族背景、4人姉妹も複雑な異性関係をもっているという、谷崎潤一郎の「細雪」からの時代の離れを感じさせる設定。でも、本質は、これ、「細雪」なのではないかと思わせます。長女、次女、三女と見てくると、わが家の長女、次女に、どことなく似ているように思われてきます。さらに三女になると、もっと、あるあると言いたくなるような既視感が。そして四女ともなると、ちょっとよい子すぎるのですが、これもやはり、小さい頃から苦労してきたであろう、この四女への、観客の無意識的な共感が、自然と反映されているのでしょうね。
ところで、是枝監督の作品、問題設定からして「こうなるのでは」という観客の予想を、うまく裏切るところに、その演出のさえがあります。「あるいてもあるいても」の阿部寛、ぜったいこの次男をめぐって父母とのいさかいが・・・と予測させておいて、何も起こらない。その肩すかし感が新鮮でした。何もなかったのがかえって余韻となってひびいていく。今回の「すず」ちゃんもそうですね。きっとどろどろとしたドラマが起こるのでは、という予測を、すっとはずしていくそのさばきかたが見事。阿部寛もすずも、その問題が真正面から取り上げられたらと思うと、誰もがつらいし、結局「解決」はありえないですよね。そういうど真ん中の問題を、何食わぬ顔をしてはずしていく。しかも、問題から逃げているのでなく、時間に解決してもらいましょう、というスタンスなのでしょう。本当の「解決」をドラマの外の時間にゆだねるところが、また心憎いですね。


海街diary

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