1995─セカイ系の始まりと崩壊
福岡市総合図書館シネラで石井聰亙監督の「水の中の八月」を観る。じつに不思議な映画であった。前半は高校生の青春恋愛映画、ちょっと「桐島、部活やめるんだってよ」的な展開なのかと思わせるが、中盤からおかしなオカルト的な要素が侵入してきて、やがてセカイ系へ変質していく。若者の恋愛がセカイを救うというセカイ系だ。まるで「君の名は。」だ。いまでは珍しくないかもしれないが当時は仰天ものだったのではないか。主人公は明らかに精神の異常をきたしているのだが、ボーイフレンドや周囲も彼女に共振してくる。物語のセカイ系的変質とともに映画がみるみる破綻していくのは鈴木清順の「悲愁物語」にそっくりでもある。主人公が悲愁物語の白木葉子そっくりになってくる。不思議な失敗作なのであるが、最後まで観てしまった。福岡市でロケされていて「あそこだ」的なご当地映画なことも一因だが、いろいろと考えさせられるのだ。破綻しているがゆえに、かえっていろいろなことを考えさせる映画になっているのだ。
まず、1995年という製作年に留意すべきである。「オウム事件の直前」である。そういう時代が刻印されている。そもそもオカルト的になっていくのも「ムー」という雑誌の影響なのだ。これ、オウム事件のあとだったら、けっして制作できなかっただろうし、公開されることもなかっただろう。オウムの前後で、オカルト、精神世界、世界を救う、というテーマ系がはっきり断絶するのである。
今となっては1995年前後の、オウム的な世界観の若者世代への跋扈が、想像しずらい。でも、当時はこんな映画にまで影響を及ぼしていたのか。驚きである。
その他、いくつか印象的なこと。草刈正雄、荒戸源次郎、天本英世などが出演している。荒戸源次郎は福岡高校の理科の先生役で不思議な味をだしている。福岡つながりなのか、なんと楢崎弥之助まで出演している。「国会の爆弾男」との異名をもつ福岡の元国会議員・楢崎弥之助(すでに故人)だ。私は彼の生前、いちど、飲み会でお会いしたことがある。どこかで見た顔だと思いながら、なかなか思い出せなかった。なぜ彼まで……。じつに不思議な映画である。