Currently viewing the tag: "鈴木清順、けんかえれじい"

これまた突出した映画である。鈴木清順は、この後に撮った「殺しの烙印」で「わけのわからん映画をとる監督はいらない」として日活を解雇されたのだった。この映画も、相当に、きている。まずストーリーからたどると、備前岡山でカトリック信者だが猛烈にけんかもつよい男子(南部麒六)が、これも敬虔?なカトリックのお嬢さんがいる親戚宅に下宿している。そこにバンカラなんだか不良なんだか分からない硬派のけんか集団(OSMS団)に入ったキロクが、カトリックとけんかとの間で青春していく話だ。軍事教練の士官とけんかして放校され、こんどは会津若松にいって、そこでも破格のけんか王者になる、という物語なのだ。なんのためのけんかなのか、けんかに意味はない。けんかのためのけんかとしか言いようのない、純粋のけんかにあけくれる。からっと描かれているが、このけんかは、ほとんどやくざの出入りと同じレベルである。けんか集団間の戦争である。けんかと戦争との境界線があやふやになったところで、映画のラストでは、けんかが戦争に流れ込んでいく。226事件と北一輝まででてきて、けんか野郎たちが軍国主義とファシズムへと引きつけられていくという、なんともシュールというか、落ちにならない落ちで終わる。これは映画としてまとめる意思を欠いた映画である。後半は、ほとんどなるにまかせて放り投げた映画、まとまりをつける意思を放棄しているようにさえ見える。そこがラディカルだという評判が生まれることを、なかば予期していたのではないか。意図的にか潜在意識的にか破壊的につくっていたのではないか。しかし、そういうわざとらしさ、あざとさは見えず、まるで、監督自身が茫然自失しながら、つくってしまった、できあがってしまった、と見えるあたりに、この映画がマニアに受ける大きな理由があるのだろう。とにかく、めちゃくちゃで、じつに面白い。