旅先で昨日の朝、新聞を見るとブルーノ・ガンツの訃報が出ていた。持参していたパソコンの中に彼の出演した「ベルリン・天使の詩」が入っていたので、帰りの機中で観ることになった。これはもうだいぶ以前に一度観たことのある映画だが、映画というものは(映画に限らず)一度観ただけでは観たことにならない、ということを痛感させられた。この不思議な映画は、いったい何だろう。いろいろと心に残るシーンがある。一度目に見落としていたところで二度目ですくい上げるように感じ入ったシーンもじつに多い。例えば、天使たちが、巨大な図書館にいる。人々は何を読んでいるのだろう。おそらく「神の言葉」だろう。ホメロスなる人物が「彼を通して世界は語られる」とつぶやく印象的なシーンがある。この場合の「彼」こそは「キリスト」なのだろう。こういうシーンは一度目にはまったく心に残らなかった。今はすこし違う。そして人間によりそう天使たちが何というかとても虚無的な表情をしている。美しい女性天使とカシエルがすれ違うシーン。一瞬だけなのだが、その女性天使が、虚無的な、表情を失った表情をしている。何というか、永遠の生命をもった天使の、その終わらない永遠さか、かえって永遠の虚無を生むのだろうか。霊となって超越することの、超越ゆえの空しさ、というものが伝わってくるシーンだった。もうひとつ、初めて観たときには意識にも止まらなかったシーン。ニック・ケイブと「Bad Seeds」といバンドのライブのシーン。ボーカルが歌っているのを観ながら、日本人女性が日本語で「このコンサートに来てよかった。あの歌い手、観客なんかまるで観てない。天国を観ているようだ」とつぶやく。こうしたシーン、すべて、人間と天使(霊)と神との密やかな交流、いわば交流でない交流、交感しない交感のようなものを描いている。こういうシーンを「宗教」と言うと何かがこぼれ落ちてしまう。そういうところも含めてあらためて感じ入った。
それにしても始まりのシーン「アルス・ダス・キント・キント・ヴァー」というドイツ語の朗読が、じつに美しい。ドイツ語がこんなにも美しいというのを、あらためて教えられる。
(追伸)
調べてみると、ブルーノ・ガンツよりも前に、オットー・ザンダーは亡くなっていた。サーカスの女性ソルヴェーグ・ドマルタンはわずか45歳で亡くなっていた。もちろんピーター・フォークも。


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