愕然としました。加藤典洋さんが亡くなられました。昨年秋から体調を崩されていたそうですが、知りませんでした。ここ数年、猛烈な勢いで著書を出されていましたから、絶好調なのかと思っていましたが、迫り来る最後を見据えてのことだったのでしょうか。
加藤典洋さんに初めてお目にかかったのは、福岡ユネスコ協会の文化講演会に来ていただいて、黒川創さんとともに鶴見俊輔についてお話しいただいた時のことでした。その時の言「鶴見俊輔という人は、ある種のきちがいなんですよ(もちろん肯定的な意味で)」。その含意については、ほかのところでも書かれていますが、そう語る加藤さんもただならぬ人でした。それはつい数年前のことのように思っていましたが、記録をたどってみると、なんと今から7年も前、2012年9月のことでした。
加藤典洋さんの著書に初めてふれたのは、忘れもしません『アメリカの影』(1985) です。今から30年以上前のことです。それ以来、加藤典洋さんの著書は、すべてではありませんが、かなりフォローし、かなり影響を受けてきました。ここ数年の加藤典洋さんの著作には、あらためて注目していて、今年の大学での演習にはちょっと昔のものですが、いまだにその精彩を失わない『言語表現法講義』(1996)の一部を使わせていただいたりしているところでした。
加藤典洋さんの文章は、読めばすぐに分かりますが、まねできないような突出したひらめきとただならぬ文才を感じさせるものです。しかもその才を、表面的な鋭さのままでなく、さらに容易ならざるところまで深めていく、すさまじいまでのこだわりや執念のようなものがあったと思います。彼の『敗戦後論』を批判した人たちと比べても、その深さには、断然の違いがあったと思います。
もっと言えば、彼のそういうとことんつき合い、とことん突きつめていく態度は、若くして大江健三郎のおっかけになり、やがて大江さんと大げんかになったことや、村上春樹の著作を、ちょっと他に例を見ないほど詳細につきつめていった『村上春樹イエローブック』などに現れていると思います。彼のそういうこだわりは、ほとんどストーカーにまで近づいていくような危うさをもっていました。それがまた、独特のえもいわれぬ魅力をもっていたのでした。ご冥福をお祈りいたします。まだまだやり残した仕事があったのだろうと思います。


福岡ユネスコ協会の講演会にて

福岡ユネスコ協会の講演会にて

福岡ユネスコ協会の講演会の鼎談はブックレットにもなっています

福岡ユネスコ協会の講演会の鼎談はブックレットにもなっています

講演会のあと、能古島での懇親会にて

講演会のあと、能古島での懇親会にて

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