11月25日は、三島由紀夫が自決した日ですね。今年は50年目ということでドキュメンタリー映画「三島由紀夫 vs.東大全共闘」や、NHKでも先日「三島由紀夫──50年めの青年論」が放映されたりいます。NHKの番組では凄い女性ダンサーが出てきて斬新でした。さて、ちょうど11月25日は、私の「社会学入門」のオンライン授業日なので、三島由紀夫を取り上げることにしました。題して「三島由紀夫とゴジラ」。どういうことでしょうか。三島とゴジラは、とても似ている、共通点がある。三島もゴジラも、戦後日本のあり方にいらだっていて、その行動はとても似ているのです。東京を破壊したり、決起したりしたのは、いったい何のためなのか。誰に問いかけているのか。そういうことを話したいと思います。



 荒唐無稽な妄想のようなテーマですが、三島由紀夫の命日のきょう、200人のオンライン授業をしました。学生たちは熱心に聴いてくれました。その証拠に熱い感想文が次々おしよせて来るのです。力作ぞろいで、ひととおり目を落とすだけで、たいへんです。100通くらいに目を通したところですが、今日の深夜が締め切りなので、まだくるでしょう。社会学の見田宗介先生は、大学では1年生に教えるのがいちばん楽しい、とおっしゃっていましたが、そのとおりですね。打てば響くような感想があり、真っ向から反論して戦いを挑んでくるものあり、みんな真摯に聴いてくれているのを感じます。午前中、講義したあとはすべて出し尽くして、ぐったりと横になってしまうほど疲れましたが、この感想を読むと、ふたたび元気が湧いてきました。
 ところで、三島由紀夫とゴジラの共通項とは何か──あの戦争はいったい何だったのか、戦争責任はいったい誰が負ったのか、という「問いかけ」(そしてそれは丸山真男のいう「無責任の体系」そのものだったのではないか)。そして「対米従属」「戦後、日本はずっと、かの国の属国だ」(「シン・ゴジラ」)という「いらだち」──それらが共通していると思うのです。二人はそっくりの「問い」を日本にたいして発しているのではないでしょうか。


 

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