先日、野崎歓さんの『翻訳教育』を紹介しました。時を同じくして『映画、希望のイマージュ』(Fukuoka Uブックレット、弦書房)も出ました。これは昨年6月、野崎歓さんに福岡に来てもらって講演していただいた時のもの。「香港映画は二度死ぬ」と「よみがえるフランス映画」の二つの講演がブックレットになったものです。うれしいですね。講演も映画の上映も、素晴らしいものだったにもかかわらず観客が必ずしも多くなかった。こうやってブックレットになって、多くの人に読んでもらえるのは嬉しいかぎりです。でも小説の翻訳と同じく、外国映画、とくに香港映画やフランス映画など、若い人たちは、あまり見てないかもしれませんね。どうしてなんだろう。かつてのように外国のもの、日本でない未知なるものへの「見たい、知りたい」という渇望が、薄まってきているように思います(誤認であってほしいが)。スマホやインターネットで、知らないものを手軽に調べることができるので、既知になった(ように感じて)しまっているのでしょうか?だとしたら残念なことです。むしろ中途半端に知るよりは、未知なことは未知なままにとっておいて、本当の出会いの衝撃の可能性や驚きの可能性を「保存」しておきたいくらいだ。なんでもすぐお手軽に知ってしまうのは「もったいない」。「知る」ことが「浅く」なってしまってもったいない。「知っているが知っていない」「分かっているようで分かっていない」「古いようでいて古くない」、そんな面白い世界への入口、発見への扉を、楽しみとして取っておいてほしい。手軽に調べて「分かった、知っている」というようでは、もっと深く面白い世界への可能性を閉じてしまう。こんなこと言うと、いかにもおじさんの言説になってしまうのだろうか・・・。


野崎歓・ブックレット

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