ジャン・ルノワール監督の「アダプテーション」をめぐる、映画監督・濱口監督とフランス文学の野崎歓さんとの東京大学での対談。当日は冒頭部分しか参加できなかったのですが、後日、東京大学関係者から、録音ファイルを送っていただきました。さっそく聞いたのですが、めちゃくちゃ面白かった。ああ、ライブで聞きたかったなと思いました。二人とも口角泡を飛ばしてルノワールを絶賛してますね。それがじつに面白い。
さて、当日の話題は、モーパッサンの短編小説「野あそび」を、ジャン・ルノワールが映画化した「ピクニック」。それが「adaptation」としてどんなものなのか、というテーマだったのかと思いきや、話題はモーパッサンから思いっきりそれていって(というかモーパッサンなど歯牙にもかけず)、もっぱらルノワールの演出方法の話に収斂していったようです。対談する二人が、もうこれ以上ないほど、ルノワールの演出方法を絶賛するので、聞きながら、なるほどなぁ、そうなのか、と感心する一方、ルノワールの映画にさっぱり引き込まれなかった私としては、いささか孤独な疎外感も感じたところです。
当日の対談にも出てくるように、金井美恵子や山田宏一ら通の人たちが絶賛するルノワールの映画。私も数本観たのですが(ゲームの規則、フレンチカンカン、そしてピクニックくらいしか、それも一度しか観たことがないのですが)、感想は・・・さっぱりでした。「ピクニック」もDVDで観たことがあるのですが、どこが良いのか、ぜんぜんぴんとこない。みんなが絶賛する中で、どこがよかったのかなぁ、ルノワール。もう一度見直してみないといけないかなぁ、などと沈んでしまいました。
でも、映画にかぎらず何事も一度観たから分かるものでもない。こうしてルノワールを絶賛する人たちの言葉をふまえて、もう一度見直してこそ、ほんとうの受容と理解とが始まるのかもしれませんね。


 

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