今回の鷲巣力さんとの出会いは、昨年の私の著書『福祉の起原』(弦書房)に加藤周一をたくさん引用したので鷲巣力さんにお送りしたからでした。すぐに感想を下さったのが鷲巣力さんでした。もうひとりが、加藤周一が出演したドキュメンタリー映画「しかし、それだけではない。加藤周一 幽霊と語る」(ジブリからDVDが出ています)を制作した元NHKのプロデューサー桜井均さんでした。この映画、すごく刺激されました。生きている人間はころころと意見を変える。しかし死者は定義上、意見を変えない。この時代、意見を変えない幽霊と語り合うことが必要だ、という改憲論争の最中での皮肉のきいた加藤周一さんでした。これを制作した桜井均さんも加藤周一さんについてはじつに深く豊富なエピソードをおもちです。いっしょに仕事をした人たちを魅了した人だったのですね。私も学生時代に駒場祭に加藤周一さんを招いての講演会を企画したことがあるので感慨ぶかいものがあります。


私の原点
先日、冬の京都の立命館大学へ行ってきました。加藤周一現代思想研究センターの鷲巣力さんを訪ねて貴重資料を見せてもらうためです。私の社会学者としての原点は、高校生の頃に加藤周一の『羊の歌』を読んで魅了されたことかもしれません。それ以来の愛読者ですが、彼には多くの謎と不思議があります。40年近くもっとも近くにいた鷲巣力さん(元平凡社の編集者)の著作(加藤周一を読む、加藤周一という生き方、加藤周一はいかにして加藤周一になったか等)も読み返しながら、直接お会いして私の疑問を問いかけるのを楽しみにしていました。ところが私の予想をはるかに上回るすごい資料やエピソードの数々で、あっというまに3時間以上がたってしまいました。いくつも謎が氷解しましたが、まだまだお聞きしたいことが残っています。


NHKの『ジブリと宮崎駿の2399日』を見ました。これには驚きました。今までにないことが大胆に語られていました。いくつも驚きのエピソードが紹介されていましたが、この写真は、先日ほいったジブリパークの「サツキとメイの家」の写真です。サツキは、なんと宮崎駿かれ自身の投影だったのですね。なるほどそうだったのか。目からうろこでした。


講演でひさしぶりに名古屋にいきました。そこで今話題のジブリパーク(大倉庫とどんどこ森)にも行ってみました。広大な敷地で、これは一日では回りきれません。なかでも大倉庫内の映画館オリオン座で観た『星をかった日』という16分の短編映画は良かったですね。「かった」は買ったと飼ったの両方の掛詞なんでしょうか。これは心に残ります。宮崎監督マジック満載ですね。月替わりで毎月違う映画を上映するようです。


名古屋市で、愛知県社会福祉協議会主催の住民参加型在宅福祉サービス活動団体研修で講演とディスカッションのまとめのお話しをしました。当日は、愛知県社会福祉会館に県内各市の社会福祉協議会職員の方々とNPO法人のリーダーやスタッフの方々、あわせて50名ほどが参加されました。私の1時間ほどの講演をきいたあと、社協とNPOの方々とが1時間ほど相互の活動を話しあうという良いディスカッションの機会になりました。行政や社会福祉協議会とボランティア団体やNPOとは、同じような現場にいながらも、淡水と海水がなかなか容易には溶け合わない汽水域のように、お互いに相手との「違い」を見つけ出しがちです。でも海水も湧き水からの栄養分でプランクトンや魚が豊富になっていくように、違いから新たな栄養分が生まれるようになると良いなと思います。


「住民参加型在宅福祉サービス団体研修会」で講演します
(愛知県名古屋市・社会福祉会館 12月12日)

時間──12月12日(火曜日)午後1時30分から午後4時40分
会場──愛知県社会福祉会館・2階・ボランティア学習室
演題──『ボランティアと有償ボランティア』をめぐって──共生社会とこれからの住民参加型在宅福祉サービスを考える
主催──社会福祉法人・愛知県社会福祉協議会(参加費無料)


沢木耕太郎の新著『夢ノ町本通り』の掉尾に「本を売る」というエッセイが収められている。70年代に大阪の巨大書店で店員の取材をした話が、やがて2023年に自分の書斎の本の大整理をした話につながっていく。驚くべきエピソードがさらりと語られいる。六千冊もの本をブラジルの友に送ったという話、その後にたまった本を倉庫に預けておいたらそこが倒産して1万冊の本もろともに行方不明になったという話、植草甚一さんの死後行き場を失った本千冊もいっしょに消え去ったという話。そして今年、思い切って最後の本の処分をはじめた、という話。どれも身につまされる話ばかりだ。思えば、私も本の大処分を3回したことがある。一度目は東京の大学から福岡へと移ってくる時。学生時代から大切に買い集めた本を神保町の田村書店というところに買い取ってもらった。店主が軽トラでやってきて、雑誌『現代思想』の創刊号からのバックナンバー揃いや、エピステーメー、パイデイア、などという雑誌一式も引き取ってもらった。あの雑誌たちはいま、どんなところにあるだろうか、まだ存在しているだろうか。二度目は、九州大学が箱崎から伊都キャンパスへ引っ越しする時。この時にも博多の古本屋さんに引き取ってもらったり専門学校に寄贈したりした。そして現在が三度目のそして最後の整理である。来年3月までにすべての本を処分するか持ち帰らねばならないので学生たちに手伝ってもらって大処分をしている。沢木耕太郎さんのようはいかないが、本というものは若い頃の私(たち)にとっては「夢」の世界への入り口だった。それが40数年をへて「夢の跡」になっていくのだろうか。


マンガでも大人気の吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」。マンガ版も図書館にあるようですが予約が集中していて1ヶ月以上まちました。ようやく順番が回ってきてさっそく読んでみたら、あれれちょっと違う⁉ 吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」という原作に忠実なところと変わっているところがありますね。
さらにいうと宮崎駿監督版の「君たちはどう生きるか」は、吉野源三郎版とはかなり違いますね。題名だけは同じですが中身はまるで別物です。私は両者の主人公を対比してみた場合、コペル君と眞人とは微妙な対抗関係にある。いや、あえてコペル君とは真反対の造形にしたのではないかと思います。コペル君はまるで吉野源三郎のような「おじさん」の教えにしたがって素直に成長していく教養小説の王道いくような人物です。それにたいして宮崎駿監督の作品は、名前が眞人なのに、あえて「悪意(悪でなく悪意)」を内在させた主人公というキャラクターとして造形されています。そしてまるで国連のような世界平和のバランスを担う「大叔父」の申し出を断る存在です。この悪意こそが、この作品を「映画」にするポイントだったのではないかと思います。


ジブリ発行の『熱風』という機関誌が「君たちはどう生きるか」の特集で、久石譲さんや米津玄師さんのロング・インタビューを掲載しているのを、弦書房の編集者から教えられて読みました。なかなか興味深いインタビューですね。とくに久石譲さんのインタビューには教えられることが多かったですね。なるほど映画音楽の現場はこうなのか。黒澤明監督との比較も、なるほどなぁと感心しました。


ちょうど一週間前、西日本新聞に寄稿した「戦争の時代に宮崎アニメを読む」というエッセイをもとに、N学園大学の授業で話してみました。
・「君たちはどう生きるか」という問いは、いったい誰が、誰に、問いかけている問いなのか。どんな時代に発せられた「問い」なのか。
・今回のイスラエルとハマスのように、戦争が始まってしまえば、もう考えることは出来なくなってしまう。「君たちはどう生きるか」という問いそのものが不可能になってしまう。
・「おじさん」や「大叔父」に問いかけられて優等生的に考えたり、答えるのではない、「別の道」はあるだろうか。
こんなことも話してみましたが……「正解」などない「問い」ですね。



 

フランスから嬉しい便りがとどきました。映画「君たちはどう生きるか」、もうすぐフランスでも公開だそうです。
「戦争の時代に宮崎アニメを読む」という西日本新聞に書いた私のエッセイ、さっそく読んで下さり、「踏み留まる。他の解決を見つける、まさに、今必要なメッセージですね!」とエールを送っていただきました。阪神淡路大震災のあと神戸のNPOで大活躍されていた方です。フランスに移住されたあとも、こうやって交流が続き、書いたものを読んでいただけるのは、とてもありがたいことです。


2023年10月24日の西日本新聞・朝刊・文化欄に、私が寄稿した「戦争の時代に宮崎アニメを読む」と題したエッセイが掲載されました。これは宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」を社会学者はどう見るか──というテーマで、今あらたな戦争の時代に直面して、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか(1937)」や「千と千尋の神隠し(2001)」と比較しながら、今度の新作の意味を考えています。


大学の授業で宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の話をしても、知らない、読んだことがない、という学生が多いのに驚きます。でも、私だってどこまで知っているか怪しいものです。昨晩は福岡市科学館プラネタリウムで「銀河鉄道の夜」を見ました。「銀河鉄道」の旅が、どこから始まり、どこで終わるか。この作品が書かれた百年前の宇宙観はどうだったのか。なかなか興味深いものでした(でも前半は小学校の理科の授業みたいでした。子どもからお年寄りまで予約で満席、多世代向けの番組だったから仕方なかったのかもしれませんが)。もっとプラネタリウムの特性を生かして映像と空間の広がり、そして宇宙の神秘とそこへの宮沢賢治の没入を伝えてくたら良かったのになぁとちょっと残念。


福岡市の中村学園大学の後学期に、週に一度「社会福祉とボランティア」という授業をすることになりました。ひさしぶりの大教室の授業、はじめての学生たち、はじめてのテーマです。120名くらいの受講生がいました。私の『ボランティアと有償ボランティア』を教科書に使うのですが、第1回ということで映画「千と千尋の神隠し」が、いかにボランティアの理解に役立つか、というお話しをしました。


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9月は福岡市のシネラで「三國連太郎特集」をやっています。そこで三國連太郎が主演した「記者ありき─六鼓・菊竹淳」というドキュメンタリードラマを観ました。監督・木村栄文の才、三國連太郎の快演、そして舞台が「福岡日々新聞」いまの西日本新聞ではありませんか。旧社屋が壊されて今の新社屋に建て変わっていく映像や、元記者の玉川孝道さんや山本巌さんなど見知った方々の座談会なども挿入されていてじつに面白かったですね。そういえば私が九州大学文学部に在職中、菊竹淳一先生が文学部長をされましたが、ご親族だったのではないかと思います。


ちょっと見逃していたのですが、2023年7月15日づけ、 西日本新聞朝刊の読書欄に、私の新著『福祉の起原』(弦書房)が紹介されていました。
●『福祉の起原』 安立清史著
福祉の歴史は戦争や疫病のそれと軌を一にしている。人間の絆が不条理や悲劇に繰り返し分断される一方で、未来への起点となる「新たな〝福祉の起原〟が生まれ直す」と著者は考える。福祉の語源や定義をあらためて問い直しつつ、宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」やスタジオジブリのアニメ映画「風の谷のナウシカ」「千と千尋の神隠し」などの物語から福祉の未来像を探る刺激的な一冊。著者は九州大大学院教授。専門は福祉社会学で『ボランティアと有償ボランティア』などの著書で知られる。 (弦書房・2145円)


今年3月の私の最終講義を聴いてくれた卒業生の方から素敵な提案があって、この夏に「社会学、出会い直しの会」という小さな会を持ちました。うれしい再会でした。ジャーナリストとして活躍しているる益田美樹さんが書いてくれた記事の一部をご紹介いたします。


『福祉社会学研究』(Vol.20)で、法政大学教授の佐藤恵さんが、私の著書『21世紀の《想像の共同体》─ボランティアの原理 非営利の可能性』(弦書房)を書評して下さっています。詳細に内容を紹介してくださったうえで、何点か批判やご意見もいただいています。ありがたいことです。