プラハにおけるカフカ
現在のプラハにおけるカフカとは、どんなものなんだろうか。じっさいにプラハを歩いてみると、どこか微妙なものがあるように感じられた。こういうことだ。カフカは、チェコ人ではない。ドイツ人でもない。カフカじしん、はじめはユダヤ人であることもあまり意識していなかった。こういう微妙な存在として、プラハでひっそりと生きたカフカが、チェコやプラハを代表する人物であるかのように国外で喧伝されることにたいするプラハの人たち、およびチェコの人たちの無意識が反映されているのだろうか・・・。たった5日間しか滞在しなかった旅人には、そこまで深いものは分からないのだが。でも、なんとなく、カフカ博物館などは、どこかカフカを突き放したような、そんな雰囲気が感じられる。スメタナやドヴォルザークなどは、手放しでチェコの偉人として称揚しまっくっているのにたいし、カフカにはそのような賛美が感じられない。(蛇足ながら、本場、プラハでスメタナのモルダウ、ドヴォルザークの新世界など聴くと、ううーむ、ちょっと、どうも、こんなものかな、と思ってしまう。率直に言って、小中学生が感動するような、国民歌なんですね)。


カフカ博物館 収容所の建物をイメージしているのだろうなぁ

 シナゴーグとなりにあるカフカの像

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