From the monthly archives: "12月 2012"

現実からの逃避
いよいよ総選挙だ。論点が見えにくい。「見えにくい」のではなく「見えなくさせている」のかもしれない。論点が曖昧になるから、論争も、判断も、あいまいになってくる。とりわけ論点から「排除」されているのが、若い世代だ。そうではないだろうか。原発も、税も、社会保障も、問題がいちばん直撃するのは、若い世代のはずなのだ。ところが若い世代は、政治に関心がない、投票に行かない・・・と言われているが、じつはそうではなくて「排除」されているからなのではないか。そうかんがえると、いろいろとつじつまが合うのである。


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弘文堂から『現代社会学事典』が刊行されました。私は、「五月革命、公民権運動,新しい社会運動、解放、消費者運動、協同組合、加藤周一、NPO・NGO、フリー・ライダー、オンブズマン」の項目を担当・執筆いたしました。新しい社会運動、解放、消費者運動、といった項目は、執筆に苦労しましたね。


 

インターネットと選挙
総選挙が近いけれど、学生の選挙への関心は、さっぱり盛り上がらない。隣国・韓国の大統領選挙で、安候補の登場で、若者の政治参加が大きく盛り上がっているのと対照的だ。このことについて、韓国からの留学生と話し合ってみた。大きな違いのひとつは、インターネットが選挙戦にどういう役割を果たしているか、のようだ。韓国だけでなく、アメリカのオバマはじめ、世界中が、インターネットを活用して、選挙への若者の関心を引き寄せているのにくらべ、日本は、どうやら「ガラパゴス化」というべきか「化石化」というべきか、インターネットやSNSが選挙では「禁止」になってしまう。どうしたことか。これは90年前の法律を引きずっているとか、新聞・TVなど既存の大手メディアが、競争相手のインターネット参入を拒んでいるからとか、いろいろな解説があるようだ。しかしいずれにせよ、結果的には、こうやって若者を選挙や政治から見事に「排除」しているのだなぁ。何しろ、いまどきの若者は、まずぜったいに「新聞」なんか読んでないから、選挙や争点についても、まず関心ないということになってしまうのだろう。しかし将来的には、このインターネットの世界が政治に入ってくることを、日本だけが拒み続けていくことなど出来るはずがない、絶対に。そうして、若者の政治参加がインターネットによって進むと、はたして「乱世」になるのか「動乱」になるのか、「革命」になるのか「保守化」するのか、はたまた「民主化」になるのか「近代化」になるのか、予測することは難しいけれど、現在のような政治状況がいっきに変わることは間違いないだろうと思われる。


総選挙が近い
12月16日はいよいよ総選挙だが、この日は、東京への日帰り出張になっているので、期日前投票にいってきた。さて、この選挙、どうなるのだろうか。たいへんな時代の重要な選挙なのだが、どうも、こう、何かが良い方向へ変わるという期待や手応えが持てない。写真家・藤原新也のサイト「Shinya talk」は、まえから興味深く読んでいるのだが、なかなかうがった話が多く(安倍晋三や石原兄弟など)、写真家の見る超現実が分かってきて、面白い。


旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
松尾芭蕉は「その最期も旅の途中であり、大坂御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残して客死した。よく辞世の句と言われているが結果論である。病中吟との前詞があり、辞世とは当人も意識していなかった」(ウィキペディア)ということである。そうだったのか。辞世の句を意識したものではなかったのか。南御堂の境内にある石碑には「ばせう」とある。また「かけまわる」とある。私はすっかり「かけめぐる」だと思っていた・・・。


ばせう(松尾芭蕉)
「秋深き 隣は何を する人ぞ」(ばせう)。大阪に行ったので松尾芭蕉を調べてみた。すると泊まったホテルのすぐ近くに芭蕉終焉の地があることが分かった。ただし「芭蕉の終焉地は、御堂筋の拡幅工事のあおりで取り壊された。現在は石碑が大阪市中央区久太郎町3丁目5付近の御堂筋の本線と測道の間のグリーンベルトに建てられている。またすぐ近くの真宗大谷派難波別院(南御堂)の境内にも辞世の句碑がある」(ウィキペディア)。なるほど古いものはどんどん壊される。先日、大阪にいった時、たずねてみました。これがそこです。御堂筋の反対側の南御堂も訪ねてみました。


 

大濠公園のイルミネーション
師走に入って、近くの大濠公園のイルミネーションが始まった。昨年は、震災の影響で、自粛されていたようだし、今年も一昨年ほどの派手さはないけれど、大濠公園池につながる中之島が、此岸から彼岸への道のように見えて来る。
橋っていうのは、どうも、こちらとあちら、この世とあの世、という二つの世界を結ぶもののように見えてくる。
とりわけ師走のこの時期だからかもしれない。
映画「ツィゴイネルワイゼン」にもこういうシーンあったっけなぁ。


大阪・中之島図書館
大阪に行く機会があったので、今なにかと話題の大阪市役所の真ん前にある「中之島図書館」に行ってみた。ここは素晴らしい図書館である。外観は威風堂々、内に入るとしっとりとして図書館らしい濃密な空気がある。ここに来るのは二度目だが、他にはなかなか場所だと思う。この図書館を、何かと話題の橋下大阪市長が「廃止」する方針だという。橋下市長は「あんなところに図書館を置く必要はない」として集客施設などに活用する意向なのだそうだ。やれやれ、じゃあいったい、図書館とはどんなところにおくものなのか。そのうち町の中心に学校なんか必要ない、として集客施設なんかにしていくつもりなのか。ここを見ていると、問題は図書館にかぎらない。文化とは何か、社会とは何か、私たちとは何か、という問題提起を突きつけられていると思った。


大阪・西成・釜ヶ崎・飛田遊郭
今日(2012年12月2日)は大阪にいました。西成の釜ヶ崎です。関西学院大学・牧里先生主催の研究会に参加していました。そこで、日本最大の寄せ場・釜ヶ崎でディープに活動している若手の活動家や研究者の方々の報告を聞きました。とても関心して聞き入っているうちにあっというまに時はすぎ、研究会のあとの懇親会は、中沢新一の新著『大阪アースダイバー』にも紹介されている近くの飛田遊郭街の中の「百番」というすごい料亭にいきました。ここ、かつては、この地の遊郭の頂点に君臨していた遊郭だと言います。すごいところです。ううむ、大阪は深い。