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福岡市図書館シネラで元RKBのディレクター木村栄文のドキュメンタリー番組「むかし男ありけり(1984)」を見た。

檀一雄が晩年をすごしたポルトガル・サンタクルスと福岡の能古島での足どりを俳優・高倉健が追ったドキュメンタリーとある。深作欣二監督の映画「火宅の人」が檀一雄と不倫相手との凄絶な道行きを描いていたのにたいして、こちらはうってかわって、檀一雄が異国のサンタクルスで街の人たちに好意的に受け入れられ、幸せな晩年を過ごしました、というまったく別の姿が描かれる(居酒屋の人々や、貸別荘の管理人おばちゃんオデッセとの交流(買い物にでかけて、オデテかえらず、犬かえる)。病をえてかえってきた博多や能古島で、やはり人びとから慕われていた檀一雄を、肯定的すぎるほど肯定的な姿に描いていて、これは「火宅の人」への反歌のようにして作られたドキュメンタリー・ドラマだったのだ。これは、檀一雄に共感をおぼえつつ、まったく逆のタイプの人だった高倉健がリポーターや朗読者として登場したことも大きかったろう。

しかし、さすがに木村栄文だ。90歳で存命だった檀一雄の実母を登場させたり、壇ふみやヨソ子(沢木孝太郎の『檀』の主人公)らが、そろって檀を肯定的に語るのは、驚きであり、なるほどみんなが見たいものを見せ、みんながそう考えたい檀一雄像をみごとに描きだしたのはすごい手腕だ。



福岡の桜はあらたか散ってしまいました。こんどは藤が満開です。かつて九州大学教養部があった六本松に、不思議な和菓子屋さんがあって、この時期、フジ屋敷のようになるのです。まるで両目からフジの花が溢れだしているようで圧巻です。



博多湾の突端で考える
昨日、思い立って、博多湾の突端、筥崎宮と玄界灘への出口の一直線上にある絶景スポットに立ってみた。
ここは玄界灘に北面して寒風吹きすさぶ凍えるような寒さ。左に能古島、右に志賀島がある。その間にみえるは小さな岩礁や行き交う船舶だ。この彼方に朝鮮半島や中国大陸がある。1400年近く前には、ここから遣唐使が出て行ったのだろうし、700年ほど前には、この狭間をとおって「元寇」が博多にやってきたのだった。そして現在は、韓国からは高速艇ビートル、中国からはクルーズ船がやってくる。さて今年も東アジアは波乱含み。毎朝、BSニュースで韓国KBSや中国のニュースを見ていると、あんまり良い兆候は見当たりませんね。


げんかいなだ1


おせちと雑煮
おせちは、作るのはもちろん、たいへん。買うのも、やっぱりたいへん。良いおせちは、なかなか見つからない。
おせち料理は、その起源や歴史、地方による違いなど、やっぱり文化そのものなのだなぁ。おせちが正式な料理だとすれば、雑煮は、もっと庶民的なもので、もっとローカル色が強いかもしれない。


おせち

福岡の新年は初雪から始まりました。
うっすらと白く積雪しています。
初雪のあとは快晴。
近くの大濠公園を歩くと、子どもたちが、おにぎりのような小さな雪だるまを作っていました。
新年、あけましておめでとうございます。


あわゆき

はつゆき

ゆき

大濠公園のイルミネーション
師走に入って、近くの大濠公園のイルミネーションが始まった。昨年は、震災の影響で、自粛されていたようだし、今年も一昨年ほどの派手さはないけれど、大濠公園池につながる中之島が、此岸から彼岸への道のように見えて来る。
橋っていうのは、どうも、こちらとあちら、この世とあの世、という二つの世界を結ぶもののように見えてくる。
とりわけ師走のこの時期だからかもしれない。
映画「ツィゴイネルワイゼン」にもこういうシーンあったっけなぁ。


九州大学中庭の櫂の樹、いよいよ、落葉がはじまった。
落葉というのは、樹が、意を決して、葉を切り放つことのようだ。樹にも意思があるのだろう。
夜、その姿をフラッシュを焚いてとってみた。夜の紅葉も、なかなか美しい、というか妖しいまでの美しさである。


きょうの櫂の樹
毎日、きょうがピークか、きょうまでがピークなのではないか、あすは散り始めてしまうのではないか、などとどきどきしながら見つめている研究室のまえの、中国の櫂の樹。きょうは、雨になるから、昨日のこれが、今年のピークの姿だったのではないか。


 夜。赤と黄色のコントラストが、よりいっそうひきたつ。

 

春と秋は、デジカメが大活躍のシーズンだ。
花と紅葉、どこが似ているか。たんに美しいだけではない。
日一日、刻一刻と、その色や美しさが移り変わっていくところ、花も葉も、徐々に美しさが生まれ、やがて頂点に達しと思うと、あっというまに消え去っていく、そのうつろい。はかなさ。切実さ。
なんだかなぁ、人間世界そのもののようで、身につまされる。
美の頂点へ向かって、少しずつ上り詰めていって、そしてほんのつかのま輝き、あっというまに失われていくさま。
私の研究室の真ん前の、中国の櫂の樹。今、その紅葉を見つめながら、はらはらどきどきしながら、シャッターをきる。
いまがピークなのではないか、いまをのがすともう見られなくなるのではないか。
そういう切実さ、切迫感に動かされて行ったことは、写真にかぎらず、社会調査でも、フィールドワークでもインタビューでも、あとにかぎりない充実感をのこすものだと思う。


博多ごまさば
晩秋から初冬にかけてのこの時期、福岡の味覚は「ごまさば」である。東京にいたときには、えっ、さばをナマで食べるの、という外国人的な感覚、ナマ魚に警戒心をいだくような感じだったけれど、博多の「ごまさば」とろりと脂がのって、じつにおいしい。これを食べると、しめ鯖、たべられませんね-。